アーケードヒストリー
08月12日
今週の放送は「アーケードヒストリー」新町商店街の後編です。
お盆の関係で22日(日)までの放送となっていますのでどうぞ見ていただければと存じます。
今回もとても貴重な証言や写真などを得ることができました。
町内にはそれぞれ「色」があります。
現在の新町はおしゃれなブティックや欅並木が美しく市内でも都会的なイメージがある商店街ですが、昭和を初期にまで遡ればカフェーが並び、大人の街でもあったようです。
また、かつては道幅も狭かったみたい。
いまでは2車線の車が行きかう見通しの良い道ですからまったく想像がつきません。
あと、昔の写真を探しているとよく見つかるのが新町の道沿いに撮られた記念写真。
後ろにザビエル記念聖堂が映るんですよね。
とても良い写真。「山口」という街を表すには本当に良いアングルになっていました。
4月にどさけんさんなどとロケをして、それ以降は個人的にあのあたりに店があった、ゆかりがあったという方と会ったり、電話でお話をしたりしました。
番組に入りきらなかったエピソードをいくつか紹介します。
「新町は火事が起きない」
新町では愛宕神社という火の神様を祀る神社があり 毎年9月に例祭があります。
昔は東屋旅館の前にあったようですが、今はナカタ時計店の駐車場のあたりにあります。
この神様のご加護か、この地域ではここ100数十年の間、火事がないそうです。
これってすごいことで、アーケードというのは火事との歴史でもある
西門前では昭和初め頃武谷呉服店が火事で燃え「たけやがやけた」という話がありました。
道場門前でもマルシン(現在のさぽらんて)のあたりで、米屋町では現在の山銀あたりで、中市ではかつて市役所が燃え、モリイケさん周辺で起きた火事では市内で初めてはしご車が出動したそう。ナックの場所で平成の初めに火事、そして10年ほど前にも今のマンションの場所で火事があったばかり。
お店が集まる商店街では火は天敵なのです。新町で火事がないというのは本当に素晴らしいことです。
「新町にはバス停が4つ」
米屋町・新町・早間田・道場門前こんな名前が上り下り それぞれ車線の南北についていたそうです。
歩いて数歩の区間にこれだけの名前があったら迷いますよね(笑)
今では米屋町というバス停が道を挟んで2つ。わかりやすくなったものです。
昔はバスに乗る人も多く、待ち時間のためにうどん屋さんや雑貨屋さんがあったり、山口の街の玄関的な役割も強かったみたいです。
「新町から東大生が3人も出た」
真偽不明ですが、あの区間に東大生を3人も輩出したのならすごいことです(笑)
ただ現在新町に住んでいるのは2世帯のみで、ほかのお店は全部通いのかたばかりです。
大家さんは別の場所にお住まいですから今後、東大生が3人も出るのは厳しいかもしれませんね。
ほかに新町は皆の仲がよくまとまりが良いとか親しみあふれるお話も、いろんなところからお聞きしました。
それぞれの区画でドラマがありました。お話をさせていただいた皆様、ありがとうございました。
で、まとめ。
3年半前から不定期で放送してきた「アーケードヒストリー」ですが山口市内のアーケードがある場所はひとまず今回で終了。
西門前…1回 道場門前…4回 米屋町…2回 中市…3回 新町…2回 他西門前のスピンのオフ1回。
全部で13回放送してきました。
最初は本当にファミリーヒストリーをパクってやろうというくらいだったんですが、調査を続けるとこれまで見えていなかった景色が広がりました。
わが番組ながらこれは貴重な歴史の証言であるし、今後残していくべきものであると思っております。
放送したから終わりというわけではなく、何かしらの形にしたいなと強く思っています。
この企画をしているときに私がいつも思うのは、ああなんであの時写真を撮っていなかったのか!?
なんでもっとあの人に話を聞いていなかったのか?…という後悔ばかりです。
今、そういうことをしないと未来の自分は後悔をするでしょう。
「かつてそこにAという店があり、Bという店主がいてね…」
多くの人にはどうでも良いことかもしれませんが、それぞれに時代を生きた小さな主人公たちが多くいて、その人たちの関係性によって今という時代が出来上がっている。
街を作るということはまずはそのような先人の存在をリスペクトすることからはじまります。
今後「アーケードヒストリー」を何かしらの形に残すこと、そしてほかのアーケード街(あるいはアーケードがないところも含めちゃうか…)を舞台に企画を継続することを検討しながら、報告できることができたらお知らせをいたします。
演出 松田大輔