浅地のトンネルについて
09月23日
先日のレアカード手渡し会についてひとつ連絡事項です。
「カードが欲しいけど当日行けません…。」との連絡を何件もいただきました。
仕事なのでいけないという方が数名、中には休みを取っていたのに親戚に不幸があったから急にいけなくなったいう方もいらっしゃいました。
わざわざご丁寧な連絡をいただき、かえって申し訳ないなと思いました。
またいずれ違う形でカードをお渡し(お配り)する機会を設けようと思います。
今後、落差1000m達成の暁にはまたこのような交流の場を作りたいと画策をしています。
そのときもどうぞよろしくお願いいたします!!!!!
さて、今放送中の「隧道どうでしょう」では山口市仁保の浅地隧道というところを紹介しています。
JR山口線が仁保の浅地川を越えるために作った”橋梁”です。
私たち、歩行者から見ればトンネルっぽいので隧道の番組で取り扱いました。
浅地隧道(この上を鉄道が走る)
この隧道の上を鉄道が走っているので、いろいろと調べました。
ただ少しは情報として頭に残っていました。
多分長谷川さんだったか、ドローンの山口さんだったか、まあ周りの鉄道の好きな人から聞いたのをぼんやり覚えていたのでしょう。
「山口線の仁保と篠目の間はすごいルートだ!」
そんなことをたしか聞いたことがあり、こんかいはその情報をもう一度深めることにしたのです。
はっきり申しまして、私は全く鉄道には興味がなく、長谷川さんが嬉しそうに鉄道の話をしているのを「なんだか嬉しそうだな」くらいしか思っておりませんでした。
ほら、人がうれしい顔してるのは自分もうれしいじゃないですか。
本当にただそれだけ。
聞いた話も左から右へスルーでした。
なので今回この区間にある”浅地隧道”について自分で調べてみると、もう新鮮で新鮮で(笑)
(実は何度も長谷川さんは話をしてると思うけど)
もうすごいんですよね。大正時代の鉄道に懸けた人たちは。
当時の山口線は山口駅が終点で、これを阿東の方まで伸ばそうという計画がありました。
山陽と山陰をむすぶ路線を作ろうというのが、当時の県をあげた(あるいは国の)大きな目標でした。
(↑大正12年に鉄道省が発行した「津和野線建設工事一覧」より)
機関車は急こう配を登れませんから、仁保の先の峠道は苦難のルートでした。
私は当時の工事にかかった費用を調べましたが、やはりこの山口と篠目の区間が最も費用が掛かっているんですよね。
鉄道用に5か所だったかな、トンネルをつくらないといけませんし、この浅地隧道のように川を越える場所もいくつも作る必要もありました。
中でも仁保駅の少し先にある木戸山隧道では崩落事故が発生し、24人の工夫らの命が奪われました。
こんな話を知ったあたりから、私も長谷川さんたち鉄っちゃんの話をちゃんと聞かねば!と思いましたね。
私たちは本当に恵まれている!
慣用句ではなく、リアルに先人が”レールを敷いてくれて”いる。
私たちはこのレールに乗りさえすれば遠くに行けますが、当時の人がこれを作るにはいかほどの汗と涙がながれたか。
私はこのたびのロケ・編集で学びました。
ていうか、アーケードにしろダムにしろ、はたまた隧道にしろ、今世にあるあらゆるものは自分より先輩の誰かが苦労して作ったものばかりです。
自分だけで生きているわけではないのです。
いやはや、ほんとうに無知というのは怖い。
私は長谷川さんやドローンの山口さんの鉄道話についてこれからはちゃんと愛を持って受け止めることにいたします。
とりあえず本日より、僕も鉄ちゃんの道へ踏み出します。
明日ロケなので、もう書きなぐり。読みにくいでしょう。
許して。
演出&鉄ちゃん1年生 松田大輔