アーケードヒストリー中市編・情報収集中
08月01日
8月10日からはアーケードヒストリー中市商店街編を放送する予定です。
自身のルーツはもちろん父母、祖父母…と続きますが、視点を「個人」から「コミュニティ」へと単位を大きくしたとき、そのルーツは自分の街の歴史と重なります。
ご先祖様がだれか一人でも欠ければ自分がいなくなってしまうのと同様、これまでに地域に存在した店や建物がもしも存在しなかったならば、今の街が今の街のように存在していないのです。
ここしばらく、商店街の歴史のことばかりを考えて仕事をしています。
古い地図を調べ、年配の方にお会いし、昔のお話を聞くにつれ、自分がテレビ番組を作っているのかどうか疑問に思ってきました。
これまでに生きた人の証を詳らかにし、そしてこれからの未来を生きる人に歴史を繋げる…、これは番組うんぬんをすっ飛ばして、もっと大切なことをしているのではないか。
偉そうではありますが、そんな風に思っているのです。
今日は竪小路にある和菓子屋さんにお話をさせていただきました。
昭和40年頃まで井筒屋さんの正面で営業をしていました。
現在の店主は65歳。
当時のお店の記憶はほぼないそうですが、隣にあった店が酢・麹を扱う店だったので、店の前を通るといつも酸っぱいにおいがしたことを強烈に覚えていると話してくださいました。だから酢の匂いを嗅ぐと当時のことを鮮明に思い出すのだと。
なるほど。
確かに「匂い」って記憶の導火線になりますよね。
私にも思い出と強烈にリンクする匂いがあります。
部活を思い出す部室の匂い、雨のアスファルトの匂い、初めて乗った新車の匂い…。
今はもちろん酢のにおいもしないし、酢のお店の名残はひとつもないですが、これも街を作った確かな要素のひとつです。そんなアプローチからも街の記憶はよみがえり、次の世代に伝えるべきことかもしれません。
その酢を扱っていたお店は現在クレープのおいしいお店になっています。
裏の駐車場を管理する吉見さんのお父さんまでが酢の店をやっていたそうです。
吉見さんは自分のお店のことはあまり聞いていないそうですが、商店街の古い写真をたくさんお持ちです。
お話をすると快く番組のために写真を貸してくださいました。
放送前ですがいくつか掲載しますね。
(お祭りの賑わい)
(サーカスが来たことも)
貴重な写真ばかりでした。
現在の井筒屋の前はちまきやでした。
私の記憶はそこまでですが、もっと古い方にお聞きするとその前、敷地の半分近くは郵便局があったそうです。
山口郵便局といって、現在の山口中央郵便局の前身です。
(山口郵便局・右が現在のJTB)
昨日は当時その郵便局舎で働いていた方にもお話を聞きました。
現在69歳。
高校生からバイトで郵便配達をして、卒業後正式に郵便局員となり最初の職場が山口郵便局でした。
当時は歩行者天国ではなく集配の車が入っていました。
郵便局の駐車場は狭くUターンできないので回転場があり、そこで向きを変えて再度出発していたそう。
局に届いた配達物は区分けされ、各家庭に配達されます。
若い時はバイクではなく自転車。遠くまで配達に行ったそうです。
建物は地上4階・地下1階。建物内に理髪店も食堂もあり、当時珍しかったエレベーターもついていたそうです。
昭和53年に郵便局は移転し、その跡地をちまきやさんが増築し現在の座組になりました。
私たちは今、そんなことがあったことなどつゆ知らず、アーケードを歩いています。
買い物をしたり、飲食をしたり、それが目的ですから当たり前なのですが、ただ、昔ここにこんなお店があったんだなあと、そんなことに意識をむけながら歩くと、少しだけ幸せにならないですか?
昔のお店を想像し、どんな声が飛び交っていたのだろう、お客さんとはどんな話をしていたのだろう、笑うことも泣くこともあっただろう、どれだけの人生がそこにあっただろう。
私たちはそういう歴史の積み重なりの上を歩いているのだと知れば、故郷を思う心はもっともっと強くなると思います。
放送はお盆を含む1週間。
各家庭のご先祖様をお迎えする時期に、わが町を作ったご先祖様的なお店の数々にも思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。
みなさまも何か中市の情報をお持ちであればメールでお知らせください。
番組の中でご紹介ができればと思います。
しかし、なんか爺臭いことを書きましたが、これが年を取るということなのでしょうかねえ。
ディレクター 松田大輔