余談・赤祢武人から学ぶこと
05月23日
昨日は「維新碑探訪 長州人の生きた道」のDVDの告知をしました。
このDVDでは34人の幕末の長州人を紹介していますが、中でも特に気になるのが赤祢武人という人物です。
赤祢は「2重スパイ」の罪で悲劇的な結末を迎えます。
彼について学ぶにつれ、彼の結末は現代でも「あるある」なんじゃないかと思うのです。
今回は番組とは1ミリも関係ないですが、簡単に彼の悲劇を説明しつつ、私の考えたことをだらだらと書き連ねたいと思います。
歴史が好きな方はどうぞ。
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幕末。長州藩はいわゆる与党と野党の2大政党が入れ替わりながら政権運営していました。
1864年8月に起きた戦争で幕府に敗れたことをきっかけに、長州藩は大きな政権交代が起こりました。
与党は「ははぁ~!徳川様ごめんなさい~!」と幕府に従う考え。
野党は「くそったれ!幕府に従うなんてごめんだ!」と幕府に抗う考え。
しかし、この政権交代を前後に、野党の中心メンバーは切腹させられたりして、与党が大きな力を持っていました。
現在で例えるなら、衆議院も参議院も与党が圧倒的過半数をとっているようなかんじ。
なんでも法律も通しちゃうぞ的な。
赤祢武人はその時、奇兵隊のトップ。
奇兵隊はもともと野党政権時代に作られた軍隊で、思想的には野党寄りでしたが、今は与党の支配下にある状態。
運営資金を与党側に握られ、野党の重鎮を人質にとられているので動きがとれません。
赤祢は「ここは我慢の時だぞ」と血気盛んな隊員をなだめつつ、与党へは「もう少し歩み寄りませんか」と説得交渉するような難しい立場でした。
(奇兵隊士の像)
赤祢はもともと医者の子で頭が良く弁がたちシュッとした感じ。
たぶん争いごとは嫌いなタイプではなかったかと私は思います。
長州藩の与党独裁体制をどうにかしようと、赤祢は外部に助けを求めます。
薩摩藩の西郷隆盛です。
あのビッグネームとも渡り合い、外的要因をもって藩政府を動かそうというウルトラCを考えていました。
頭の良さに行動力を備えた、出来杉君タイプの赤祢。
しかしそんな状況に異変が起こります。
暴れん坊の高杉晋作がクーデターを起こしたのです。
「軟弱な与党をやっつけるぞ!俺につづけ~!!!」
有名な功山寺決起です。
(功山寺の高杉晋作)
高杉は政権交代寸前にいち早く福岡に亡命していてタイミングを待っていたのです。
ここで困ったのが赤祢です。
どうにか与野党を仲介しようと根回しをしていたのが、高杉の登場でめちゃくちゃです。
「高杉君ちょっと待ってよ。今僕が双方に話をつけてるんだ。」
「うるさい!!ちんたらしてる場合じゃねえ!奇兵隊をこっちによこせ!」
高杉は良い家の出で、もともと奇兵隊を作ったのは彼。
スネ夫の家柄とジャイアンの強引さを兼ね備えた高杉晋作は、出来杉君的赤祢なんて押切もえなのです。
高杉も赤祢も最終的な目的には大きな違いはありません。
共に松下村塾で学んだ間柄で、年も一つ違い。
かつては英国公使館を焼き討ちするなど共に尊王攘夷運動に身を投じたこともありました。
何より新旧の奇兵隊の総督として同じ肩書を持つ間柄です。
ただ今回、赤祢は組織の力で、できる限り穏便な政治的決着を目指していたのに対し、高杉は最初は個の力であってもとりあえず導火線に火をつけようと。
A地点に行くのに国道を通るか、裏道を通るのかくらいの違いだったのではないでしょうか。
最初80人だった高杉のクーデターも次第に賛同者が増え、赤祢の手を離れた奇兵隊も途中で合流。
大きなうねりになっていました。
赤祢は彼なりに藩政府に対して働きかけを続けますが、そうこうしている間に高杉のクーデターは成功し、再び与野党が逆転。
結果的に赤祢は完全に立場をなくしてしまったのです。
こうして長州藩は再び「幕府を倒せ~!!」的な空気に染まるのです。
(幕府に対し山口に本拠を置く)
立場をなくした赤祢は長州藩を離れます。みんなが軟弱者だの反逆者だと言うからです。
親交のあった他藩の同志を頼りに大阪に逃げました
そこで幕府の役人に捕まります。
「お前は幕府に反旗を翻した長州の奇兵隊・元トップの赤祢武人だな!」
長州でも居場所がなく、外に逃げれば、今度は敵の幕府につかまっちゃう。
もう内にも外にも敵ばかり。
牢へ送られ厳しく責められます。
こうなったら頭のいい赤祢は一か八かある戦略をとります。
「僕は長州のことをよく知っています。私に幕府と長州の仲介をさせてください」
幕府も長州と揉めるのは難儀ですし、赤祢を使者にして長州に放つことにしました。
万が一うまくいって幕府と長州が争わなくなれば万々歳。仮に失敗しても幕府的には対して痛くないわけですから。
広島で縄を解かれ、こっそりと長州に入った赤祢武人。
知り合いを集めひそかに、長州と幕府の仲介の為に活動を始めます。
幕府と争うことの無意味さを説いたのでしょう。
しかしそんな噂はすぐに広まり、今度は長州藩に捕まります。
「お前、この前クーデターに参加せずに、今度は幕府のスパイになったんか!」
もう長州の人からは裏切者の上に幕府のスパイとして総スカン状態なのです。
(故郷柱島のお寺。ここに隠れた)
「いや私の話を聞いてください」
「うるさい!」
言い分を話す間もなく、あっという間に首をはねられてしまいました。享年29歳。
最後の言葉は
「真は誠に偽りに似、偽りは以て真に似たり」
私なりに解釈をすると
「結局さぁ、世の中ってさ 真実もウソになるし、ウソも真実になることもあるんだぜ。あーあ、なんだよ。もうやってらんねーよ!」
てな感じでしょうか。
真実がウソになり、ウソみたいなことが真実になるなんて現在も同じですね。
最近の「ウソみたいな真実」のニュースがやたらと重なります。
さて、彼の生き方の教訓としては「時流を読むのが大事」ということ。
正しいと信じることでも、それが今の世の中に受け入れられなければ、大きなしっぺ返しを食らうことになる。
歴史にイフはないですが、高杉晋作のクーデターにのるかそるかがターニングポイントだったわけで、そこでとった行動が違っていたら彼の運命もきっと変わっていたはずです。
昔スナックのママが言っていました。
「流れに歯向かうのではなくて、時には流れにのってサラサラ流れなさい」と。
赤祢に限らず幕末の人物の生き方は今でも考えさせられるものがあります。
例えば赤祢の人生は、企業の出世争いに敗れる半沢直樹的なドラマに置き換えて、現代のフォーマットで表現できるのではないか。
面白そうだなー。ふふふふ。
脳内にチョンまげのサラリーマンをイメージしながら、5月の土曜日の過ごしやすい午前は過ぎていったのであります。
以上余談でした(笑)
いやー番組と全く関係ない話でした。ははは。
そうそう、鳥カードは引き続き募集中ですよー!
ディレクター 松田大輔