アーケードヒストリー 特別編
08月05日
おはようございます。暑さがやばいですね。
こんな時はクーラーのかかった部屋でテレビを見るのが一番!
そして時々は12チャンネルのボタンを押してください。
たまには面白い番組もやっておりますゆえ。
今週のにんげんのGO!はアーケードヒストリーの特別編をお送りしています。
前半はアコーディオンの上田さんSP。
ロケ中は何度も演奏して盛り上げて下さっているのに、放送ではカットすることも多いんですよね。
言い訳をすると、時間の関係で一曲丸々放送するのがむつかしいんですね。
特に最近はいろいろな写真や資料が出てきましたので、番組内で時間の奪い合いが起きてしまっておりました。
そんなこともあって、今回は未公開の映像を含めて上田さんの演奏をメドレーでお送りすることにしたのです。
どうぞ懐かしいメロディを口ずさみながら見て頂ければと思います。
そんな上田さんの演奏を編集していると気づいたことが2点。
まず商店街の皆さんがあっけにとられている様子がとてもシュールだった点。
いきなりテレビがやってきて「昔のこと教えて」と来て、すぐさま「お礼に一曲プレゼントです。」といって上田さんの演奏が始まるわけです。これは誰だってあっけにとられますよね。
元気よく歌う私たちと商店街の皆さんとの対比が私的にはとてもツボでありました。
そして2点目は昭和歌謡の歌詞のすばらしさ。
今回はちゃんと歌詞をテロップで出すことにしたおかげで、歌詞のすばらしさに気づくことができたのです。
上田さんが演奏するのは昭和初期から戦前までの曲が多いのですが「若い僕ら」とか「わが青春(はる)」とか「花の都」みたいなワードが本当に多いんですね。
当時の活気にあふれた若者のパワー、生き生きとしたチャレンジ精神にあふれた当時の若者の心情みたいなものが(おっさんの)私の心に響きました。
「俺たちはなんでもできる!」「明るい未来が待っている!」みたいな、今では少し恥ずかしくなりそうな純粋で、幼くもあるような
青春の言葉が直接的な表現で歌われていました。
「年金は払ってもらえるのか!」「老後2000万円が必要」「老々介護」…みたいな先行き不透明なワードが躍る現在とはまるで異なります。
当時の前向きで若さに溢れたワードチョイス、どのタイミングで変化していったのか。
いくつもきっかけがあるでしょうが、まず大きいのは数年後に迎える「第二次世界大戦」ではないでしょうか。
未来を見つめていた雰囲気の詩曲が、この戦争を境に大きく方向転換していったのだとしたらこんなに悲しいことはありません。
この戦争で日本人はたくさんの命だけでなく、精神的に大切な何かを失ってしまったのかもしれません。
これから広島・長崎の原爆の日や終戦の日を迎えますが、「戦争」ついて考えて行かないといけないと思った次第です。
話が少し暗くなりましたが、今週の後編は「新資料発見!」という気になる話題をお届け!
市内の古美術店から明治7年の「西門前と荒高の地図」が出てきたのです。
今から145年ほど前のお話。江戸時代終わってすぐの商店街がどんなだったか?
これまでにこのような資料はなく、かろうじて口伝えであそこに○○という店があったみたいな状況でした。
とくに明治初期ともなると、詳細ほぼ不明!
そんな状況を一歩も二歩も進める資料の存在が明らかになったのです!!
番組ではその資料について1回目の検証をしております。
1回目としているのは私的にもっと知りたいことがあるから、今後も継続的に調べていきたいと思っているからです。
熱くなりましたが、良かったら番組を見てください。
11日は滝遠足ツアーやります!台風が心配ですが晴れますように!
総勢60名以上になる大きな隊列を組んで滝にアタックしてきます。
どうなるのか不安と希望で胸がいっぱいです。
ディレクター 松田大輔