隧道どうでしょう その2
06月10日
今週月曜~水曜は市議会中継の為、①10:40~②14:40~の放送回が休止です。
初回放送は19:40です。よろしくお願いします。
おはようございます。
今週は健康診断があるので仕事終わりにウォーキングをしようと思います。
いまさら感半端ないのですが。
さて先週から突如始まりました「隧道どうでしょう」
プレゼントもないのにまあまあたくさんの反響のお便りメールがありました。
まず、番組で表示した本家「水曜どうでしょう」の放送年月日がまちがっているとのこと。
番組内で1998年~2002年としていたところ、正しくは1996年から放送開始されていたとのことでした。
大変申し訳ありませんでした。私の確認不足でした。
さすが伝説の番組はすごいです。ファンの方の熱量も半端ない…。
放送年月日は間違えておりますし、パクり方も強引で、長谷川さんは「知らん」と言ってますけど、私はこの番組を尊敬しております。
いずれこの番組について語りましょうね。
この度はタイトルもじってごめんなさいね。
そして、多かったのが「とがりすぎてる!」との声。
確かに…。
私もあまり山口県の番組でひたすらトンネルに行ってるって画は見たことがありませんでした。
まあ、滝も風景印も見たことなかったですが、やはりトンネルは……。ねえ。
ただ放送してみて思ったのですが、このような「廃トンネルを考える」ということは「地域の人の流れ」そのものだということに気づかされたのです。
時代に沿って人の流れ、物の流れの変化が如実にみてとれたのです。
☆例えば萩市の鹿背隧道について
①江戸時代 参勤交代などで萩から瀬戸内海の防府へ抜ける道(=萩往還)があった
→県都が山口に移り、萩の交通の便を良くして、再興を図りたい
→明治初めの混乱期、道路にまで手が回らないので西南戦争後に道路改修の動きが加速。
②明治16年 鹿背隧道が完成。県内で初めての石造の隧道。
→これにより悴坂を登る必要がなくなり萩~明木の道が楽になった
→大正2年には県内初の自動車も通行。しかし広い道幅の必要性が生まれる
③大正9年 萩から川上村を回り明木へ通じるルートができる
→少し遠回りだが、萩と山口を結ぶメインはこのルートが採用され、鹿背隧道はマイナー路線になる。
→これが昭和の間ずっと続く。
④平成9年 萩から明木へ最短で結ぶ萩有料道路が完成。鹿背隧道の西隣にできた。
→萩から山口へ行くときにはこちらの交通量が増加。
→鹿背隧道はいまだマイナーなままだったが、存在価値が見直され文化財に指定
→隣の有料料金(150円)を避けるため、交通量が少し増加した。
⑤平成22年 萩有料道路が無料化
→わざわざ鹿背隧道を通るメリットがゼロに。
→私たちのようなとがった番組しか目をつけなくなる
つまり萩から山口へ向かうメインルートは明治以降何度もチェンジしているわけで、鹿背隧道に注目するとその歴史が非常によくわかるのです。
私は萩に祖父母が住んでいたため山口と萩をよく行ったり来たりしましたが、まさにこの流れを体感した一人です。
小学生時代は③の川上ルート、その後急ぐ時やお金を払っていい時は④の有料自動車道ルート。
大学生のノリノリの時はたまに怖いもの見たさで鹿背隧道ルート。
今では⑤の無料道路しか使いません。道の駅もたくさんの人がいますよね。
あのトンネルはこうした近隣の人の流れをずっと見てきた生き証人。
だから番組で紹介する意義が多いと思いますが、いやそれでもやっぱり「とがって」ますねぇ…。
実は今週はもっと「とがって」ます。
どうぞ柔らかい気持ちで見てください。
(三隅の榎谷隧道での一コマ)
(美祢ー宇部を結ぶ某隧道で…)
くわしい話はまた今度。いっぱい話したいことがありますので!
健康診断の後に即入院ということにならない限り、ブログに書こうと思います。
ディレクター 松田