223 江崎郵便局…など
03月07日
おはようございます!今週の放送は223局目の江崎郵便局です。
山口県で最も北の端にある郵便局です。(離島を除く)
放送で私は「もっとも北東」と言いましたが正しくは「北」ですね。
こちらで言い直します。申し訳ございません(汗)
さてさて、江崎郵便局の風景印は名島と長門ゆず吉でした。
名島付近に昨年定置網が復活し、併せて定置網の曳船・新名島丸が完成。
現在は若い漁師さんが毎日のように定置網漁にでかけ、網をあげ新鮮な魚を道の駅などに出荷しています。
市場で水揚げの場面を見せていただきましたが、みなさん本当に黙々と作業されておられました。
驚いたのは若い人がたくさんいらっしゃったこと。
この番組で県内を巡っていると「昔はにぎやかだった」「昔はよかった」…という話を本当によく聞きました。
風景印に描かれている施設や祭り自体がなくなっていることも珍しくなく、さびしい気持ちになったものです。
しかしながら萩市江崎は名島の定置網をきっかけにして、活力あふれる元気な若々しい空気が伝わってきました。
こういうのはひとつのモデルケースになるのではないでしょうか?
官公庁の方は是非視察で、奥様はお買い物に、お父さんは釣りに江崎にどうぞお出かけください!!
きっと楽しくためになる一日になることでしょう!!
ガイドの山根さんにも大変お世話になりました。ありがとうございました。
週をまたいで、来週はゆずきちについて紹介します!!お楽しみに!!
そして。ご報告。
昨日3月6日、2012年7月にスタートした風景印220景(途中から226景)がついに最後の郵便局「山口後河原郵便局」に到達し、5年8か月にわたる長い風景印の旅のゴールを迎えました。
どんなゴールだったかは、ネタバレになりますので詳しくは4月の放送に譲るとして、ディレクターとしてこの番組に携わった思いなどを少し書いておこうと思います。
興味があるかただけどうぞ(笑)
2012年7月18日。当時新しい企画を考えていた私はファイルに入っている名刺を取り出して長谷川一夫なる人物に電話をしました。
2010年4月にニュース番組で「風景印コレクション展」を取材したときに名刺交換していました。
風景印というものの存在をその時に知り、それをを使って何か企画ができないかと頭の片隅にあったのです。
そのことを思い出して、2年4か月ぶりに一度しか会ったことのなかった切手収集家のおじさんに電話を掛けました。
今にして思えばなんて無計画で遠慮のない行動だったか…。それほど当時の私は新しい企画に切羽つまっていました。
電話をすると一度しか面識がないにも関わらず、切手好きのそのおじさんは私のことを覚えていてくださって「今からウチおいで」と言ってくれました。
電話の20分後には長谷川さんの家で小っちゃい缶コーヒーをいただきながら「風景印の企画、面白そうやね!」と盛り上がりました。
話はとんとん拍子に進みます。
翌19日には長谷川さん宅で撮影することが決定。自慢の切手や天気図や鉄道コレクションを見せていただき、風景印とは何ぞやとカメラの前で解説してくださいました。
さらに近くの後河原郵便局へ行き、テスト的に風景印をもらったあと、企画開始として長谷川さんにくじを引いてもらい私とカメラマンは1局目・王司郵便局へ行ったのです。
(DVD第1弾に収録)
こうして企画はスタートし、ディレクターの私が王司のほか3つほど郵便局を回りましたが、やはりちゃんとした出演者にお願いしないと番組が成立しないと撮った後改めて気づきました。
本当にいい加減でございます。
そこでこの年に山口県で活動を開始していたどさけんさんにお願いしようとなったのです。
どさけんさんは2012年の2月に2代目の住みます芸人として山口県に赴任されていました。
それまではロンブー淳さんの運転手をしたり香川県の住みます芸人だったとのこと。
私はかねてから弊社のテレビ局に”顔”として出てくれる人を探しておりました。ディレクター自ら出演しているなんて、やはり正気の沙汰ではありませんから。
さっそくマネージャーさんに連絡を取りお話を伺い、6月22日に湯田温泉のDADAというイベント会場で行われるお笑いライブへ足を運びました。
初代の山口県住みます芸人WANTEDさんとどさけんさんの共同のお笑いライブで、お笑いファンの若い女の子などが10数名いました。2組が続けてネタをされましたがどんなネタだっかかはよく覚えていません。
ただその後にあった3人入り乱れて行われたフリートークでどさけんさんについて感じるところがありました。
当時まだ10代だった若いWANTEDさん。一方37歳で様々な経験をして山口に”流れ着いた”どさけんさん。
どちらも「売れたい」「人気者になりたい」「モテたい」という、いわゆる芸人としての欲求はあるものの、年齢的にも猶予のないどさけんさんには「生きる」「稼ぐ」という部分の「覚悟」をより強く感じました。
また売れっ子の淳さんのそばにいたことからなのか、成功者との圧倒的な格差を体験して現在の自分の立ち位置を客観的に認識していたからなのか、どこか謙虚で、それでいて「売れる」ということの具体的な野望を胸に秘めているように感じました。
どさけんさんに出演をお願いしたならば、きっとちゃんとまっすぐ番組に取り組んでくれると思ったのを覚えています。
このようなことを経て2012年7月28日、どさけんさんを中心にすえて 正式に風景印220景はスタートしました。
長谷川さんはロケ現場を見たいというので、お世話になった手前断れずしょうがなく(笑)ロケに来てもらい、カメラマンの山野さんが勘違いしてカメラの前に立たせてしまったので番組はよくわからない2人組で動きだしたのです。
これがこんなにも長くつづくとは当時夢にも思いませんでした。
最初のロケの日。4つの郵便局を回りました。
萩・光・下関・徳山と県内をまさに大移動。
ロケを終え、どさけんさんを駅に送り、帰りの車で山野さんと「どさけんさんはちゃんと番組に取り組んでくれるね。」と話したのを覚えております。
風景印というマニアックなテーマで聞いたこともないような場所に行き、出てきたマイナーなものをレポートする。
しかもそれはたくさんの人が見れる大きなテレビ局ではなく、ケーブルテレビ。加えて自分は山口県になんのゆかりもない出身は埼玉県。
こんな状況の中、普通ならば、軽~く上辺のリポートですませて、ギャグなんかで終わらせるところを、どさけんさんは萩で松下村塾を初めて見たと素直に喜んで、光の海岸や下関垢田では出会った地元の人としっかり対話をし、徳山速玉ではかつてそこで暮らした親孝行だったという女性の銅像を見て彼女の行為と地元の顕彰活動を真剣にたたえました。
山口県に住む私としてはそれが本当にうれしかった。
それは昨日ゴールを迎えた226局まで5年間ずっと続きました。県内各地に点在するそれぞれの地元の誇るべきものを、どさけんさんはちゃんと丁寧に体験・報告し、山口県を好きでい続けてくれました。
これは本当にありがたいことで、番組の存在意義・核となりました。
その土地土地に暮らし息づくものに正面から向き合う・バカにしない・嘘はつかない・ただし誇張もしない。これは番組のポリシーです。
かわいそうなスタートを切った長谷川さんもだんだんと存在感をまし、その知識と人当たりの良さで番組にいろいろな色を付けてくれ、番組を変な方向にアカデミックに、そしてバカバカしくしてくれました。
視聴者の人がこんな名文をくれたので紹介しておきます。
【長谷川さんのコレクターネタがもっと見たいです。常人には全く価値がないであろうレアアイテムが、
コレクターにとっては如何に貴重なものであるのかを、熱く力説する勇姿が見たいのです。
「実は私、インスタントラーメンのパッケージのコレクターでしてね。
ああ、乾麺専門で生麺には興味ないんですよ」なんて言おうものなら、確実に変人の烙印を押されます。
特に女性からはドン引きされること間違いなしです。 じゃぁ、なぜそんなことをしているのか? 決まってます。
自分が楽しいからです。
世間体や体面に囚われることなく、自分の興味があるものを収集する。 これがコレクターの鑑です。
これが自由な生き方です。 これが価値の創造です。
長谷川さんの今後の活躍を期待しています!】
(転載おわり)
長谷川さんが楽しそうにしてたことにつられて、みんなが楽しくなったのです。ありがとうございました。
そしてこんな道楽めいた企画に付き合ってくださったカメラマンのお二人とたくさんの視聴者の方々。
本当に感謝でいっぱいであります。
最終回の収録から一夜明けて、私も思いが噴出しておりますが、放送上の最終回はもう少し先。
どうぞ最後までお付き合いをいただければと思います。
2018年3月7日 風景印226景 ゴールを終えて
ディレクター 松田大輔