スラムダンクの三井寿
03月17日
更新が遅れまして申し訳ありません。
もう木曜日ですけど今週の放送はご覧になられたでしょうか?
歴史嫌いの人は全く興味のわかない話だったかもです…。
しかし、まあそういわずにぜひご視聴いただけると幸せます。
今回は田布施町の城南郵便局というところを訪問し、冨永有隣という人物について詳しくご紹介しております。
彼は13歳の時、藩主の前で講義したことがあるほどの秀才。
将来が期待されますが、右目(左目とする資料も)を病気の為失明し、見た目も醜くなり、武士としての立身は難しい状況になってしましました。
そのため性格はねじ曲がり、周囲から嫌われ、結局見島へ流罪、その後、野山獄で獄中生活をすることになるのです。
自分は本当はできるのに…。
自分のせいではない原因で、自分の力が発揮できない。
こうなると人は誰かのせいにしないと立っていられないのです。
優秀だが、自信過剰。しかし挫折をしてグレる…。
完全にスラムダンクの三井寿のパターンですね。(注1)
論理に飛躍がありますが、冨永有隣=三井寿だったのです!
三井は安西先生に諭され「バスケがしたいです」と立ち直りますが、有隣の場合は松陰先生でした。
野山獄で松陰に出会ったのがきっかけで性格が(少し)前向きになり、先に野山獄を出た松陰が藩に働きかけてくれたおかげで有隣も獄をでることができました。
その上、もともと優秀な人物でしたから松下村塾で講師の役割も与えられるのです。
やはり安西先生と松陰先生は偉大なのであります!
松陰の死後はいろいろあって逃亡生活、監獄生活と厳しい時代を送りますが、晩年は田布施の城南で塾を開き後進の育成につとめたといいます。
「自分のおじいさんが冨永有隣の塾に通っていた」という住民が田布施にはいらっしゃるようです。歴史は語り継がれているんですね。
郷土館の館長さんも「あんなに大きな碑が立っているんだから、少なくても晩年の有隣は周りの人に愛されていたのでは」と話してくださいました。
こういうエピソードを聞き、肖像画をじーと見ていると、どんな人物だったのかなぁと脳内に空想の世界が広がって、どんどん歴史が好きになって行きます。
みなさんもどーぞ、幕末の三井寿こと冨永有隣をお見知りおきを!!
(注1)スラムダンクの三井寿
中学時代はバスケットの有名選手だったが、高校1年の時ケガをして戦線離脱。同期の選手が活躍するなど初めての挫折を経験し不良になる。ロン毛になる。前歯もなくなる。
高校3年の時憧れだった安西先生に出会って改心し、再びバスケットの道に入り活躍する。
ディレクター 松田大輔