大津島のリアル。
04月07日
今週はいつもと少し雰囲気が違う放送になっています。なりました。
周南市の離島・大津島へ行き、戦時中に使用された回天の記念館と発射訓練基地の跡を見学しました。
真面目に遊ぼうと心がけている風景印のロケも、ただただ真剣にならざるを得ませんでした。
20代前半の遊びたい盛りの時代、1mしかない鉄の筒に一人で入り、暗い海の中、敵艦めがけて突撃し、散って行った若者が大津島にいました。
記念館にはそんな若者の書いた遺書や手紙が展示してありました。
…なんと言ったらよいのでしょう。
回天関係者の遺影が壁一面に飾ってありました。平均年齢は21歳だったそうです。
自分で志願したとはいえ、自分の出撃の日まであと何日、何時間。
少しずつ減っていく突撃までの時間をどんな気持ちで過ごしていたのでしょうか。
自分が今後どうなるのか、作戦上、家族にさえ話せなかったそうです。
神風特攻隊の話もですが、こういう話、何度も聞かされて大人になってきました。
かわいそうだとは思うのですが、どこか違う国の、全く違う時代の話として、実はあまり実感できずにいました。
しかしながら大津島に渡り、記念館に行き、館長の話を聞き、「リアリティ」を感じました。
回天で死んだのは自分の国の、いや自分の県で訓練した若者で、年も自分の祖父母ほどの人間であること。
回天というものはわずか直径1mほどの大きさでしかなく、一人乗りで中には小さな豆電球しかないということ。
回天が潜る海はとても黒く緑がかっていて、発射基地は無機質なコンクリートでできていること。
僕が感じた「リアリティ」は当時のリアリティのほんの数%でしかないでしょうが、これは確かに実在したことなのだと強烈に脳に焼き付きました。
どれも行ってみなければわからないことばかり。行ってよかったです。
当時のことを知る人たちは、もう80代後半から90歳になろうとしています。
当時のことを聞くことができるのは僕たちが最後の世代なのかもしれません。僕の仕事は映像を残すことです。
戦争を体験した方々のお話を聞くということ。
さんざんいろいろなテレビでやってきたことかもしれませんが、いまこそそんなことをしなければいけないような気がします。
そういうことも頭に置きながらも、とりあえず今は、この番組を見た方のうち一人でも大津島へ行っていただけると嬉しいです。
ディレクター 松田大輔