「昔のこと考えた」という話
01月24日
今後放送するネタバレになってしまいますが、この16日に今年初めての風景印のロケに行ってきました。
まあ色々な場所に行ったのですが、その中から写真を一枚!
萩焼ではありませんよ。
防府の「玉祖焼」という焼き物で、現在一軒のお宅で脈々と作られています。
この窯元は防府市の佐野という地区にあります。
萩焼と似ているのも当然で、もともと萩焼で使われる土は防府市の大道産のものらしく、萩焼とはまた違う流れで防府市内の遠くない場所で陶器の製造がおこなわれていました。
もともとは「佐野焼」という名前でしたが、プラスチック製品の普及などの理由で次第にすたれ、「玉祖焼」と呼ばれ今に至ります。
恥ずかしながら山口県では「萩焼」しか知りませんでした。みなさんもそうでしょ!知ってた?
そこで私イメージしました。僕が生まれるずっと昔のことを。
昔は100円ショップもないので、水飲もうと思えば器を作んなきゃいけなかったわけです。
プラスティックもない。じゃあ何でつくるの?
土でしょ。
必然的に各地に「○○焼」とよばれる窯元がいくつも生まれるんですよね。
その中で芸術的な価値がある焼き物は一定の需要があり、廃れなかったために「萩焼」「有田焼」なんてのは今に残るわけです。
そんな有名な名前に隠れて、消えていった「〇〇焼」なんていくらでもあったのでしょう。
「玉祖焼」もきっとそんな一つ。
もう、考えたら、こんな当たり前のこと、気が付かないんですよね。
こんな偶然の出会いでもない限り、ぜーんぜん昔の人の生活が全くイメージできてないんですよね。
「関ヶ原が1600年」って知っていても当時の人がどんな暮らしをしてたかって想像しないんですよね。
関ヶ原の戦いがあった年も、全国各地で日常生活が営まれていたわけです。
技術の進歩や生活の変化でいらなくなったものは次第に作られなくなり、消えていき、次第に記憶からもなくなっていく。
そのかわり、新たに必要となったものが生まれていく。
日々新しいものが古いものの上に重なり、層を作り、まるでミルフィーユのようになっているのが現在なのではないでしょうか。
突然の訪問でしたが窯元の方(昭和3年生まれで現役のおじい様です)にお話を聞くことができました。
こういう出会いも郵便局に風景印があったおかげです。
ありがとう風景印。自分じゃ絶対にこんな場所に行かなかったよ!
たまには現在のミルフィーユの表面の層を1枚2枚引っぺがして、ちょっと昔の様子に思いをはせてみるのもいいじゃない。
もう年かな。
詳しくは多分、来月の番組内で。
ディレクター 松田大輔