雨ふるふるさとははだしであるく
11月24日
今週は防府車塚郵便局へ行ってきました!
風景印には、久しぶりの登場・種田山頭火さんです(防府駅前郵便局以来2回目)
「雨ふるあしあとははだしであるく」という句碑をさがしていろいろな句を紹介しております。
そのうちの一つでも覚えていただけると、私の役割は完了いたします!どうぞこれを機会に山頭火にふれてみませんか!?
…などとえらそうに山頭火に詳しい人間であるかようにブログを始めましたが、じつを言うとこれまでなーんも知りませんでした。
今回ちょっと彼の生涯のさわりを知っただけ。ただ知るにつけいろいろと感じましたのでブログに書こうと思います。
これまでいろんなところから山頭火という名前を聞き及んでおりましたが、全くというほど興味がわかずスルーしてきておりました。
ところが今回、初めて時間をとって生家跡の場所へ行き、彼の人生の概要を学び、ロケから帰って(ネットですが)調べると、それはそれは波乱万丈の生涯を送った人物であるということが分かりました。
ざっくりと説明しますね。
もともとの彼は大地主の裕福な家で生まれたそうです。しかし、そこからいろんな不幸が彼の身の回りにおこります。
10歳で母が自殺。
これだけですごい経験ですよね。しかも自分の目の前で…だそうです。
早稲田大学を退学。
神経を病んで中途退学だそうです。
タモリや広末、石田純一なども早稲田中退だそうですが、それとはすこし意味合いが違います。
父が破産。
幼いころから貧しかったならいざ知らず、もともとは裕福な家で生まれていたわけですからその苦しさは想像に難くありません。
他にも弟さんが死んだり、妻と離婚したり…彼の悲劇を上げればきりがありません。
そんな経験をしたのちに出家し全国放浪の旅へと出て俳句を詠んだのだそうです。
「分け入っても分け入っても青い山」
教科書で習った唯一知っている山頭火の句でしたが、はっきり申しまして何のことやらでした。
何じゃい!それ!そんなんおれでもかけるわ!それ、わざわざ教科書にのせるか?
僕はついこないだまでそう思っておりましたが、彼の人生を踏まえたうえでこの句を読むと感じ方が変わってきました。
放浪の孤独やまずしさ、他人からきっと冷たい目で見られたことでしょう。人間不信になったこともあったでしょうし、だからこそ感じる自然の美しさもあったのでしょう。
そのめちゃくちゃになった感情を正直に文字におこしたのが彼の俳句だったのではないでしょうか。
575の定型の俳句に対し、彼の読んだ俳句は自由律俳句というそうです。
彼の人生自体が定型のものではないのですから、このスタイルに行きついたのは当然なことなのかもしれません。
私たちは普段型にはまって生活をしております。そのほうが楽なことが多いですよね。
私も会社員ですから規則はあるけど、守られてるところも大いにあるわけで。
だからこそ、自分の意志の赴くままに生きている人に対して憧れるところがあります。
(何も苦労を知らんくせにと言われるでしょうけど。)
今回は山頭火の句に触れていろいろな考えを感じさせていただきました。
本当は、自分が感じるのではなく、テレビを通じて視聴者のみなさんに感じさせるのが仕事なのですが、それは力が及びますかどうだかわかりません。
とりあえず私は山頭火をもっと知りたいと思いました。
いや、ジジくさいディレクターでもうしわけない!
本当はキャンギャル集めてミニスカはせてその下にセクシー俳句をかいた下着を履かせてウチワで仰ぐみたいな企画をしたいのですが、難しいので。
来年は防府市に山頭火ふるさと館というのができるそうで。今からたのしみ!
じじいディレクター 松田(36)