隧どうⅡ「椎の木峠トンネル」
12月09日
こんばんは。今週は19:40~の放送回が最初です。
ゴールデンタイムにこんな端っこのチャンネルに来ていただいた方、ありがとうございます!!
しかも題材は今週も「トンネル」ですからぶっ飛んでいますよね。
隧道どうでしょうシーズンⅡの最終回です。
山口農業高校のそばにある椎の木峠トンネルに行って参ります。
見て頂ければわかる通りこれも素晴らしいトンネルです。
作った人は小郡の大庄屋、林勇蔵。
幕末の歴史好きの人ならご存知の方も多いはず!
高杉晋作が挙兵をした際に、小郡をまとめ上げ支援することを決断した人物です。
この時の話もいろいろとお話したいのですが、これはまた別の機会に。
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このトンネル、170年たった今でも役目を果たし続け郷土の大切な遺産として受け継がれています。
トンネルの工事には相当な苦労があったことをうかがい知ることができます。
林勇蔵さんは故郷の発展の為、多大な苦労もいとわず、この事業に邁進しました。
私は今回の放送に当たり彼のことを勉強しました。
そのなかからひとつエピソードをご紹介しましょう!
椎の木峠トンネルの工事の為、最初は山陽小野田の鉱山から人員を雇いつるはしでトンネルを掘らせたそうです。
しかしそのうちに硬い岩盤にぶち当たります。
一日に何と6ミリしか穴をほることができなかったとのこと。
考えられます?6ミリですよ!
ここでみんな意気消沈。
この調子ではとても工事は進められないし、資金もどれだけかかるかわからない…。
諦めかけた勇蔵さん。
そんな時、小鳥が木をつついている様子を目にしてハッとしたのそうです。
「小鳥ですら木をつついて穴をあけている。なんで我々人間がこれしきの事でへこたれようぞ!」
勇蔵、当時38歳。
今度は銅山の職人を雇って工法を切り替えたことで無事に作業が進んだそうです。
完全に「プロジェクトX」です。
トンネル完成後、ため池から水を引くことに成功。
周囲の84軒の農家が新田を耕し、新しい生活を営むことができました。
この事業は藩内でも有名になり、萩から殿様が視察に来るに至りました。
彼はこうして周囲の尊敬を集め、この地域の名士としての地位を築き上げることに至ったのです。
そんな林勇蔵が高杉晋作に資金・人的な支援をするのはこの14年後です。
もしも彼が椎の木トンネル事業を行わなかったら、果たして晋作を支援することができたでしょうか?
彼に周囲の人を納得させることができる人望や発言力が備わっていたでしょうか?
人は簡単には動きません。
特に晋作が決起したような一か八かの大勝負の時にはなおさらです。
動かすのには築き上げた信用・経済力・器、地位や立場…様々な要素がからみあってこそ。
晋作の偉業の裏にも、さまざまなヒストリーがあるのです
そう!歴史とはいろんな奇跡のつながり。
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「椎の木峠トンネル」。
貴重な市民の歴史遺産です。大切に保存し後世に伝えていきたいものですね。
そして今週はプレゼントがあります!
映画のチケット2枚です
①男はつらいよ お帰り寅さん
②この世界の(さらにいくつもの)片隅に
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※16日からの放送は私が取材の為、休止です。ごめんなさい。
今週の放送がそのまま流れます。
23日からは米屋町のアーケードヒストリーを放送する予定です。
宜しくお願いします!
松田