男はつらいよは「映画」である。
02月27日
ちょっと前にブログにあげましたが、我が家の2階の1室がこないだからスカラ座になったので、毎夜1本映画を見ることが楽しみになっています。
映画と言っても今の所「男はつらいよ」一択なんですが(笑)。
昨年末たまたま「男はつらいよ」の50作目を始めて見て以来心をつかまれて、第1作から順に見ているのですが本当に素晴らしい「映画」なんですね。
実はこれまで私は「映画が好きだ」と語る人に少しばかり疑問符をもっておりました。
よくいるではありませんか?「一日一本映画を見るのをノルマにしてるんだよ~」とか「映画を見ないと薄っぺらい人間になるよ」みたいな空気で映画を語る人が。
寅さん風に言えば「なんだよ!インテリぶりやがって!」ですね。
自分がテレビの仕事をしている関係で映画に対してジェラっている部分が多分にあるんですが(笑)
次に映画ってテレビドラマと何が違うの?という疑問ですね。
踊る大捜査線なんてTHEムービーってついているだけで内容はテレビ版とほぼ一緒でしょ。
映画館で見るのが映画?ならその後DVDになったらそれは映画?
大きな画面で見る映画?それなら家のテレビで金曜ロードショーで見るときも映画なの?
制作費がかかると映画?それなら映画並みにお金をかけられた海外ドラマは映画なの?
映画監督が作ると映画?それならその監督がテレビドラマを作ったらそれも映画?
お金を払ってでも見たいものが映画?テレビにもお金を払っても良いと思えるものはなかった?
その辺の線引きをきちんとしてほしい!という感情もありますね。
これも自分がテレビ制作をしている関係で、いちゃもんをつけているにすぎないのですが(笑)。
さあ、ここにきて「男はつらいよ」です。私はこれは「映画」だと思いました。
(元々はテレビで、放送後好評だったので映画化した、男はつらいよTHEムービーなのだそうですが)
昨日は11作目「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」を見ました。この回にこんなエピソードがあります。
さくら(倍賞千恵子)が子供の満男にピアノを買ってあげたいと夫の博(前田吟)に話します。
博はとても高くて手が出ないと乗り気ではありません。
それを耳にした寅さん(渥美清)は「なんだお前たち、ピアノくらい買ってやれよ!」と言って、外へ出ていくと、小さなおもちゃのピアノを買って戻ってきました。
「おう!ピアノを買ってきてやったぞ!」
おもちゃのピアノを自慢げにさくらに渡す寅さん。
受け取ったさくら(倍賞千恵子)は何とも言えない表情をするのです。
(何これ? あっ!お兄ちゃんは勘違いをしてるんだ。これが私たちの欲しいピアノだと思っているんだ。
…かわいそうなお兄ちゃん。
でも、私たちの為に買ってきてくれたんだから喜ぶふりをしなくちゃ。)
さくら演じる倍賞さんは驚きと哀れみと嬉しさとやさしさと企て…いろいろな気持ちが同居した表情を1~2秒で表現されました。
快演!大女優倍賞千恵子ここにあり!でございます。
「ありがとうおにいちゃん きっと満男も喜ぶわ」
「なーに、遠慮するこたあねえんだからな。俺たちは家族なんだからよ。」
さあ、ここからとらやでは「このおもちゃのピアノこそさくら一家が欲しかったもの」という暗黙のルールが出来上がり、博とおいちゃんおばちゃんは「寅さんには黙っとこう。喜んでいるふりをしよう」と気を使い本当のことを隠しはじめます。
いわゆる男はつらいよのパターンに入りました!
わかっていながらもファンはその後の行方を見守ります
夜、一家団欒の場。楽しそうにピアノを鳴らす満男。相変わらず得意気な寅さん。
そこへ隣のたこ社長がやってきて
「なんだよ、寅さんがピアノ買ったって?おいおいこれ、おもちゃのピアノじゃねえかよ!」
皆は「空気を読んでよ!」という表情。
すべてを悟った寅さん。
「お前らの欲しいピアノって講堂にあるようなピアノだったのかよ!」
みんなで寅さんを傷つけないように装っていたのがばれてしまいました。
「そうよ。おにいちゃん。でも私たち、おもちゃのピアノでもうれしかったのよ」となだめるさくら。
恥をかかされた寅さんは怒ります。
「そもそもお前の家なんてピアノなんか置けるような広さじゃねえだろうが!棺桶だってタテにしなきゃはいらねえアパートに住みやがって!だいたい稼ぎが悪いからピアノなんかお前らには買えねえよ!」
恥ずかしさの反動でひどいことを言う寅さんに一家は反発。
「おにいちゃん…」
「ひどいことを言うな義兄さんは…」
「あんまりだよ…。今の言い方はあんまりだよ」
「寅~!!!もうお前は出ていけ!」
「ああ!出て行ってやるよ」
こうして寅さんはまた旅に出るのです。
どうですか?実に不毛なやり取りじゃないですか。
映画という大層な場所で取り扱うにはあまりにもみみっちいというか、なさけないテーマではないですか。
何億円もかけてCGを駆使して作られた映画がある一方で、こちらの武器は小さなおもちゃのピアノと、それを巡るお茶の間のいざこざ。
かっこいい鼻の高い俳優が恋だ、愛だと騒ぐ一方、こちらは胴長短足の無職の男が勘違いをしてしまうというストーリー。
ただ、よくわからないのですが、私はこのようなシーンに代表される「男はつらいよ」に心をつかまれ、おかしいほど笑い、そして何だか涙がでるような感情が沸き起こるのです。
無理に言葉を探すとしたら、可笑しさ、滑稽さ…。それに悲しさ、いや哀しさ、そして切なさと懐かしさ…。
これらの言葉を全部、カプセル錠に入れて飲み込んで、胃の中で溶けたら今の感情が沸き上がるみたいな。
めんどうくさいので、こういう感情を「にんげん」だと言うことにします。
人間がすることなんて実はくだらないし、そうしたくなくたってそうしてしまうような理屈で片付けられないところがあるし、人間が生きるというのはなんかそんな感じのもので、私は寅さんというとても魅力的な架空の人物を通じて人間を感じることで、私の「人間」が共鳴しているのだと思ったのであります。
男はつらいよには「にんげん」が描かれているのです。
私は男はつらいよを「映画」と理解しました。
つまり「にんげん」が描かれているモノが「映画」ということです。
「にんげん」が描かれてさえすればテレビでも「映画」です。小説でも漫画でも音楽でもそれは「映画」です。
いやあ、わかりやすい定義ができました。
「映画」=「にんげん」説
どんなにド派手なアクションシーンがあっても、宇宙人から世界を救おうとも「にんげん」が描かれていなければ映画ではないし、逆に動物が主人公でも「にんげん」を感じるならば映画です。
冒頭で登場させた「一日一本映画を見るのがノルマ」という人は「映画」を「にんげん」に代入すると本当に素敵なことです。「映画を見ないと薄っぺらい人間になるよ」これも「映画」と「にんげん」を置き換えるとその通りです。
何が言いたいのか!?
今週登場した石垣を作った日中豊さん。
昨日改めてお話を聞きに再度岩国まで出向きました。とても「にんげん」でした。
次週の放送では日中さんについて特集しますが、「にんげん」が映ってます。
ゆえに来週の「にんげんのGO!」は「映画」になります。
どうぞお楽しみに!ポップコーンを片手にご覧ください!
映画ディレクター 松田大輔