思い出話
01月08日
社会人になって最初にした仕事ってなんですか?
テレビ番組の制作会社に就職した僕の最初の仕事はインターネット通販で面白い商品のネタ探しというものでした。
担当することになった番組のMCのタレントさんが、まだ今ほど隆盛ではなかったネット通販にはまり、今度そのテーマで番組をするからと先輩に命じられたのです。
一日中パソコンの前にすわり、ドッチボールくらいあるシュークリームや冷蔵庫に入る回転式のタッパーとか、意味のわからんガラクタを見つけてきては、「おもんない」と先輩にダメ出されつづけていました。
時々「おもろいな」となって先輩がタレントの所に持っていくと「おもんない」と突き返されたりと、何が正解で何がゴールなのかわかりませんでした。
銀行や保険会社に就職した大学の友達とはかけ離れた仕事で、これでいいんだろうかという気持ちでとても不安でした。
また、そのMCのタレントさんが、とあるテレビ局が得意とする「マグロ」と「秘湯めぐり」の番組について関心を持っているというので、過去30年分のテレビ欄を見て、これまでに何個マグロとか秘湯とかのキーワードが登場したか数えることになりました。
昼間は通常業務があるので夜に開いている図書館へ行き数日かかって調べましたが、意外と数が少なく面白くないなということで企画が流れてしまいました。
またあるときは、そのMCのタレントさんが学生時代に京都のハンバーガーショップでバイトをしていた時の話をいつも楽屋でするので、その回顧禄を撮影しに京都に行きました。当時スバル360に乗っていたというので、愛好家を集めて当時のように撮影し、行きつけの喫茶店のマスターや恩人の娘さんに話を聞いたり、MCのタレントの人生のある一時期を時代をこえてたどりました。
スタジオでそのVTRを見せるとMCのタレントさんは号泣するのです。いつもは鬼のような先輩ディレクターももらい泣きし、つられて観客も泣くし、僕もハンバーガーのホットプレートを用意しながら泣いてしまいました。
そのMCのタレントはスタジオの収録よりも、終ったあと楽屋で説教するほうが長い人でした。2週間に一度の収録に徹夜で臨む僕たち下っ端にとって地獄でした。彼が帰るまでは帰れないのです。こだわりある決まったワインと阪急百貨店で買ったケイパーとクラッカーを楽屋へ入れるのが仕事です。灰皿に吸ったタバコが2つたまれば入れ替えないと叱られます。
関西出身でなかった僕はそのタレントの行動・言動すべてが自分勝手でなじめませんでした。ただ嫌いにはなれない不思議な魅力を持った人でした。
年を重ねるにつれ、簡単なVTRを作ることをまかされるようになりました。街のおばさんにインタビューし、面白コメントを引き出すというのが僕の仕事です。
関西のおばちゃんが好きなMCのタレントは、VTRにけったいなおばさんが出てくるとスタジオで笑ってくれました。
そしてそれを真似したり茶化したりして、笑いを増幅してテレビの向こう側へ届けてくれます。それが僕にはこの上なく快感で、どうにかして面白いおばちゃんをさがそうと、いつも道頓堀の橋の上で粘りインタビューをしていました。
内容によってはすこし遠い駒川商店街というところや粉浜商店街という場所へ赴きました。
何度もインタビューしていると、商店街によって生息するおばさんのキャラクターが微妙に変わるのにわかってくるのです。
ちょっときれいめなおばさんがいいなと思えばキタのほうへ。もっとコテコテが欲しければ泉南地区へ。関西のおばちゃんを何種類かに分類し、使い分けることが心の中の僕の小さな自慢でした。
このVTRを見せてMCのタレントさんが笑えば、イコールお茶の間の方が笑ってくださるという方程式があったのです。
まあ逆にすべれば、きっついことになるんですけど。
5年ほどたったある日。番組が終了することになりました。最後の収録はスタジオで鉄板焼きをするという企画でした。
その収録の最後に僕たち制作スタッフやカメラマン、美術さんからスタイリストさんまで100人近くがMCのタレントさんへ寄せ書きをした大きな垂れ幕を垂らすことになりました。これをサプライズで彼に見せて番組終了という企画があったのですが、お蔵入りになりました。
垂れ幕を垂らすと「こういう湿っぽいのはいらんのじゃ」と怒って楽屋へ帰ってしまったからです。
最後まで段取りとか守らないタレントさんでした。みんなせっかくメッセージ書いたのに(笑)
人一倍義に熱く、曲がったことが嫌いで、自分勝手で、照れ屋で、繊細なおっさんでした。
その収録のときに会ったのが最後です。下っ端でしたので直接教えていただいたりはありませんでしたが、僕にとってものすごく濃い思い出として残っています。
「いつも視聴者のこと考えろ」「オンエアーって言うのは空気を伝えるからオンエアー言うんじゃ」
あなたがよく口にしていた言葉です。勝手ながら拝借させて頂いて今でも心にしまっています。
やしきたかじんさん。心からご冥福をお祈りいたします。合掌。
ディレクター 松田大輔