年内ラスト収録、そして米屋町の補足
12月25日
月曜日は今年最後の収録を致しました。
滝の藤田さんは「若い人たちでやりなはれ!」という名セリフを残し欠席、女の藤田さんは産休で欠席でしたが、それ以外の出演者さんは勢ぞろいで収録に臨みました。
どさけんさんと長谷川さんと始めた番組も次第に所帯も増え、それぞれに個性と特技をお持ちの方が参加してくださるようになりました。
運営側としてはこれほどの喜びはございません。
こんなにウエルカムな空気が出来上がったのも、器用で仕切りのうまいどさけんさん、誰ともすぐに打ち解けられる長谷川さんのおかげでございます。
番組は生もので、時代や視聴者さんのニーズの変化に対応するのも大変ですが、求められる限りは楽しく精一杯番組を続けていきたいと思います。
この収録の様子は来年1月1日からお送りします。
収録後には忘年会をしましたよ。
分かりにくいですがハッセーの偽物も来てくれました(笑)
そして現在放送中の「アーケードヒストリー~米屋町商店街~」の補足を少し。
西門前から始めたこの企画も今回で3つ目の商店街です。
山口駅を県庁方面に進み、アーケードと交差するポイントから東側、近江屋寝具前の路地までが米屋町商店街の範囲です。
私は先週1週間番組更新をお休みして、何度もこの商店街に出かけていろいろな方に接触を試み、取材を重ねておりました。
その後それを取捨選択して20分の放送にまとめたのですが、当然全部の話を載せられたわけではありません。
100の話を聞いたとして、放送に乗せられたのは5くらいだと思います。
私はこの成仏できなかった95の話の中から、できる限り「保存・記録」させる役目があると勝手に思っております。
調査としては当然この周辺の地図からさかのぼりました。
県立図書館に行き、尋ねますれば、昭和29年の地図が最古とのこと。
今からわずか65年前です。
つまりこれ以前の米屋町というのは、”伝聞・記憶頼み”となってしまうわけです。
いや~…、なんとも厳しい。
この時代のことを知っている人がいなくなってしまえば、ますます歴史が埋もれてしまう…。
商店街は大型店舗の進出やネット通信販売の普及などによって、賑わいの創出に必死。
なかなか過去の記録をとるところにまで気が回らないのが実情です。
当たり前です。過去のことよりも今、そして未来のことの方が優先順位は先なのですから。
時代の証人に話を聞ける間に、アーカイブを取る必要があるのです。
時間は限りがございます。
今回の番組ではタマヤさんから旧蓬莱閣までの話を中心に進めました。
ここでは放送に入りきらなかった内容を少しだけ。
いつも目の前を通りながらも、男の私は入店したことのなかったブティックタマヤさん。
キラキラしたビルディングの中に緊張しながら入り、最終的に社長さん(74歳)にお話を伺うことができました。
http://tamayabldg.jp/
現在はブティックですが、創業当時は傘屋さんでした。
現社長の祖母が広島県の福山で大正12年に創業。しかし福山市は空襲にあった為移転を余儀なくされました。
移転先に選んだのは炭鉱で景気の良かった宇部市。何でも渡辺祐策の紹介もあったとか。
それが宇部市の中央銀天街商店街。あの山内清香園さんがある商店街です。
当時はとても活気のある商店街だったとのこと。これは山内さんのお話とも共通する所です。
その後、昭和21年に山口市に進出。
当時の宇部は景気の良い反面、治安があまり良くなかったため、県都で文教地区だった山口市を目指したとのこと。
場所は大市商店街の岩見屋さんの隣、ちょっと前にはペットショップがあった場所です。
次いで道場門前の近江屋さんの隣で数年、さらに昭和29年に現在の場所(当時は現在の半分程度の敷地)に店子として入り営業を始めました。
当時の屋号は「タマヤ洋傘店」。日傘は冬場に需要が減るので毛皮やショールも扱っていました。
昭和55年に正式にアパレル店に転身。「ブティック・タマヤ」となったわけでございます。
この転身は功を奏し、平成3年には店子で入っていた場所とその隣の土地を買い取りビルを建設。
現在の地下1階・地上4階のタマヤビルです。
向かいには同じく近代的なWOODZビルが数年前に建っていて、米屋町商店街は一気に都会型のアーケードに変身することになったのです。
タマヤさんは宇部・防府にも展開、さらには向かいのWOODZビルや新町にも支店を展開。
一時は県内のブティックナンバーワンの売り上げを誇ったとのこと。
これがざっくりのタマヤヒストリー。
ここにはもうひとつあるお店のヒストリーが大きくかかわってくるのです。
それが昭和29年からタマヤさんがビルを建てる前までの数十年間、大家さんだった「第三書房」の存在です。
(書店の店内)
(※中原中也記念館提供)
店主は友廣保一という県内でも有名な歌人です。
https://www.pref.yamaguchi.lg.jp/cms/a19300/literary/tomohiro.html
斎藤茂吉・土屋文明といった当時中央で活躍した文化人に師事し、郷里の山口で古書店を営みながら文芸誌の発行や県の短歌の協会の理事などを務めたようです。
第三書房は昭和5年に札の辻(現在大市商店街先)に創業。昭和14年に米屋町に移転したとのこと。
年代は調査中ですが、まず店舗の半分程度(新町商店街側)をパチンコ屋に貸しました。
(昭和29年地図で店名は「楽々園」であることが判明)
その後、そこにタマヤ洋傘店が入ります。さらに店を区切ってアクセサリー店などにも貸し、少しずつ古書店の経営を縮小していき、昭和59年に閉店しました。
商店街に古書店があった時代、私は少しうらやましいと思います。
以上のことから現在のタマヤビルの区画を整理すると…
昭和14年 第三書房が札の辻から移転
年代不明(戦後か?)パチンコ屋「楽々園」がテナントに入る
昭和29年 タマヤ洋傘店がテナントに入る
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・ 書店の規模を縮小
・ 反対側にアクセサリー店などが入る
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昭和55年 タマヤがブティックに転身
昭和59年 第三書房閉店
平成3年 タマヤビル建設
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現在に至る
あの区画ですらこれだけの歴史があり、昭和14年以前のことは現在わかっておりません。
引き続き調査を進めていきながら、こちらででも報告をさせて頂きたいと思います。情報をお持ちの方はどうぞお知らせいただくと嬉しいです!
話が長く、そして難しくなりましたが、2019年の放送はこれでおしまいです。
2020年も引き続きよろしくお願いいたします。
次回の更新は1月1日です!
風景印220景12弾の送付は年明けまで待ってくださいね。
ディレクター 松田