取材報告③
02月12日
これは番組の為というよりは私自身の為の”取材活動”として広島まで映画を見に出かけました。
日曜日のプライベートなお話です。
東海テレビさんが作ったドキュメンタリーで「さよならテレビ」という映画です。
ずっと気になっていて、やっと見に行くことができました。
内容を簡単に紹介すると、テレビ局内の報道局に自らカメラを入れるという異色のドキュメンタリーです。
普段取材する側にいるものが、取材される側に回ったとき、どのようなことが起きるのか。
番組の完成品を見せていたテレビの裏側にはどのような種や仕掛け・ドラマがあるのか?
映画はテレビマンとしての自己内省を含み、特にメディア関係の仕事に従事している人には大いに響く内容になっていました。
まあネタバレになりますので詳細は書きませんが、これを見た同業者の人と一杯やりながら語りたいなと思いました。
いろいろと思うところがあったのですが、映画の中で「番組を成立させる」という言葉が出てきます。
私も立ち止まって「成立って何?」と考えました。
番組は始まってもう丸7年ですが、その都度これを「成立」させるために、構成を立て、出演者にオファーし、撮影し…。
その作業を約350回繰り返してきました。
大きなトラブルも無かったので一応「成立していた」のだと思いますが、「成立って何」と改めて思ったわけです。
フリがあってOPがあって、なんやかんやして、オチがあってエンディング。
この一連の流れがウチの番組全体としての「成立」。
一般的にはディレクターがあるVTRを任されたとき「面白い!」「いける!」と思ったものが、ある一定の基準に達した時「成立した」ことになります。
成立の基準はディレクターそれぞれによってまちまちですが、全体的なぼんやりとした基準はなんかあるような気がします。
撮影前に「成立しそうなもの」を考えて、撮影中には「成立した」段階で撮影を切り上げ、撮影後には「成立させるように編集」したものが放送されています。
にんげんのGO!の場合は数人ですが、大きな番組になると、最終的な放送までにはいくつもの「成立の関門」があります。
スタッフの人数と同じだけ重ねられた「成立のざる」があり、それを潜り抜けた、きわめてきめ細かい優秀な映像のみを視聴者はテレビから受け取っているのです。
では「成立しないもの」ってどんなものなのか?「成立しないもの」は面白くないのか?「成立しないもの」は視聴者を不快にさせるものか?
「成立させるためにはどんな犠牲を強いても良いのか」
「成立」っていうのはテレビを作る側が勝手に作った幻想ではないのか?
関連するかどうかはわかりませんが、以前、滝のロケ中に出演者が全く関係のない話を始めました。
「九州旅行へ行った。」「宗像大社がよかった。」「あそこの料理がおいしかった」みたいな。
本当にただの雑談。オチも何もない、声も張ってないただの会話です。
「カメラ前で全く関係ない話をする」というボケなら「成立する」可能性はありますが、マジで関係ない話だったので、私は「滝の話をしてください」と軌道修正を図りました。
滝はすぐ近くだったので、滝の話ゼロで到着すると「成立しない」と思ったからです。
結果、放送ではこの雑談から私の軌道修正までを含めて放送することにしました。
「関係ない話を始めた出演者をいさめるスタッフ」「カメラの存在を忘れるほど仲良くなっている出演者」
そんなおかしさが映像から伝わるかもと私が判断したからです。
すると放送後に、視聴者さんの数人から「なんで話を止めたの」「九州旅行の話がもっと聞きたかった」というメールを頂きました。
「そっち!?」
私はこのご意見にハッとさせられたのを覚えております。
番組を成立させるために良かれと思ってやったことも、必ずしもそれが正解とは限りません。
成立させるために私はある程度の道筋を立てるのですが、これが面白いかどうかはテレビを見る人一人一人が決めることなのです。
とても大切なことを考えさせられた気がしました。
しかし、結局見る人次第だということで終わってしまうと、どうやって、誰が番組を作るのかという問題にぶち当たります。
にんげんのGO!で言うと「成立する」「しない」の判断を私が取らずに番組はできあがらないのです。
結局、テレビというのは最大公約数的に「こういう番組が喜ばれるだろう」「こういう特集が主婦層に受けるだろう」という成立の基準のもとに作らざるを得ないわけです。
また問題の入り口に戻ってきました。堂々巡りです。
強引に結論付けるならば、制作側が「私たちの作る番組はこういう感じです」という明確な基準を明示して、「それを面白いと思う人はそれを見てください。」
という極めて民主主義的なやり方で番組を作るという考え方。
そりゃそうなりますよね。
今多くの番組はこの考え方で作られていると思うし、その人数の多少は視聴率という数字が明示してくれます。
ここから導き出されるのは結局「成立」=「視聴率」ではないのか。ということです。
視聴率が取れそうだと判断することが「成立する」かどうかを判断する基準になっている。
その数字に従ってスポンサーがつくかどうかが決まるのですから、経済的にも自然の流れです。
これ可とするか不可とするか。
私はベターではあるがベストではないと考えます。
この考えを拍手をもって迎えると、世の中に「パンケーキ」の放送はできても、「隧道」の番組はゼロになります。
世の中にはいろいろな番組があったほうが楽しいじゃないですか。
そんな状況下で私たちディレクターは「これは成立」「これは不成立」とふるいにかけているわけです。
これがよいのかどうか…。
私だけが隧道を面白いと思っている可能性もあるわけで…。
逆にパンケーキが成立すると思っても、視聴者はそうでもないと思っているかもしれないわけで…。
いや、書きながらも何を書いているか分からなくなっております。
(これはもう一度映画を見に行かないといけないな…。)
にんげんのGO!では逆説的に、今後「成立しなさそうなもの」を実験的に放送してみようと思っています。
私たちの番組制作チームは小規模ゆえに、映画で描かれているようなテレビ局に比べて、縛られてる鎖がはるかに軽く自由が利くのです。
やる気さえあれば私たちは挑戦的な番組を作ることができます。
成立の基準になっている「視聴率」がないのはある意味でメリットだし、結果の判断は皆様のメールや反応にお任せすることにしたいと思います。
ベタなまとめですが「さよならテレビ」にならないよう、まずは自分から、あらゆる可能性を排除せずに取り組もうと思いました。
ディレクター 松田大輔