アーケードヒストリー 米屋町商店街
03月23日
おはようございます。
2月・3月と隔週更新が多くなってしまいましてご迷惑をお掛け致します。
4月からは毎週更新できるように頑張ろうと思っています。
(一人でやっているので、企画によっては毎週更新できない場合もありますのであらかじめお許しを…。)
さて、本日からは人気企画「アーケードヒストリー」の米屋町商店街編(後編)をお送りします。
もう一度企画の説明をしますと、どさけん・長谷川・藤田(現在育休中)・上田剛志さんが商店街でインタビュー。
「あなたのお店は創業何年ですか?」
「あたたのお店が建つ前には何というお店がありましたか?」
その回答を表に記入していき、区画ごとにお店の遍歴をたどっていこうというものです。
(リポーターの面々)
今回はmirai365さん、着物のふじもとさん、米屋町商店街組合事務所、刃物の末廣さんを中心にインタビュー。
ロケ後に三好屋さんや、ガーリーマーケットさん、ギャラリーナカノさん、その他にもいろいろなお店・関係者に聞き込み調査をしました。
古い話になるとやはり調査も難航しまして、図書館で古地図で裏取りをしたり、歴史民俗資料館や文書館、あるいは古書店などで写真資料などを集めてまとめました。
そんなこんなをしているうちに、ロケをしてから約1年。
その間にリポーターが育休に入ったり、閉店するお店がでたり。あるいは調査が進んで新しい情報が出てきたり…。
歴史を調べているのに、最初のロケ時点の話がもはや歴史の1ページになりかけていました。
まるで栓を締めるのを忘れて風呂を沸かすように、全然湯が貯まらない。
この調子だといつまでも放送に至らないのでビシッとあきらめることはあきらめて、区切りをつけて放送することにいたしました。
(ふじもとさん提供)
米屋町商店街の特徴は歴史的に大きな企業・官公庁の支店や出張所が多い(かった)ということ。
みずほ銀行(当時勧業銀行)や山口銀行(第百十銀行時代から)、古くは中国電力や信用保証協会などの立派な建物がありました。
地理的に人の集まる場所であることの裏付けであり、地元民ににとっては大きな誇りになっていました。
それが米屋町としてのアイデンティティとして今もなお受け継がれています。
(中国電力・現在のコーケンドラッグさんの場所にあった。今は市民会館の向かいに移転している。)
(山口銀行・現在のふじもとさんの場所にあった)
商店街自体はそう長くはないですが、歴史的にはとても深く、米屋町のアーケードヒストリーの調査はこれからも続けていきたいと思います。
情報をお持ちの方はどうぞ松田までご連絡をお願いします。
何とか大正・明治時代あたりまでは、どうにか解き明かしたいと思っているのですが…。
現在の山口銀行米屋町支店の場所にあったようだけど、詳しくはわからずじまい。
きっと誰かが当時のお話や資料を受け継いでいるのだと思うのですが、100年以上前のことってなかなかたどれないものなんですねぇ…。
このほかにも番組のご感想などを頂けると嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
ディレクター 松田