アーケードヒストリー 中市商店街その1 放送開始
08月11日
今週は久しぶりの「アーケードヒストリー」を放送しております。
西門前商店街から始めたこの企画も、少しずつ東へ向かい、とうとうアーケードの端の中市商店街までやってきました。中市商店街も長いので今回は近江屋寝具店さんからYAMADA118さんまでの範囲について深く掘り下げております。
以前も書きましたが山口市の中心商店街の形成ははるか大内時代にまでさかのぼると伝わってはいるものの、各商店の並びや屋号までがはっきりしているのは管見の限りでは昭和29年の山口市の地図が一番古く、なかなかその全容がつかみきれずにいます。
昭和期に昔の記憶を思い出して書かれた大正時代末期の商店街の地図や、水彩画家・徳見七郎さんの古い町並みの絵、明治の豪商図絵などで多少はさかのぼれても、まだまだ調査の必要性を感じております。
しかしながらゴールの無い調査。結局、どこまでやっても歴史の底なし沼に溺れることになり、どこで区切りをつけるか(ましてやこの作業は番組の企画でやっているわけですから)放送する期日が迫れば切り取り作業をせざるを得なくなるわけです。
西門前から米屋町までで昭和以前から今も商店街で営業しているお店はタケナガ、山城屋、イビシ、白石時計、前田洋服、遠藤薬局、三好屋、末広刃物などに絞られます。(番組調べ)
これは裏返せば商売を長く続けることがいかに難しいかということの証です。
時代は何年かごとに大きな変化を迎えます。時流に乗らなければ家業の継続はむつかしく、長寿のお店はほとんどどこかのタイミングで商売の大きな方針転換を経験しています。
昭和になってからでも第二次大戦や高度成長、バブルの崩壊、大型スーパーの参入、IT化、そして現在のコロナ禍…などなど。
方針転換はこれまでの家の歴史との決別を意味します。
父や祖父から受け継いできた伝統を自分の代で途切れさせて良いものだろうか。
家の名を残すべきか、それとも生業を残すべきか。
時代時代でその代の当主家族は多いに悩み、それぞれの決断の上に現在の姿があるわけです。
…みたいなこ難しいことを考えずに「ああ懐かしいな…」「あの店があったのは知らなかったな」などとお気楽に見ていただけると嬉しいです(笑)
私は小学2年(昭和62年)に山口市に転校してきたので、平成期のことしかわかりません。
今回でいうと現在の井筒屋の場所に山口郵便局があったことなど知る由もなく、知る喜びを感じながらの番組制作になりました。近江屋寝具店の場所にはマーケットがあったのもそう。
お時間をとって、いろいろなお話をしてくださった方に改めてお礼をお伝えいたします。
放送は今後もは続きますので調査もひきつづき継続いたします。
昔の情報や思い出話などがあれば番組までご連絡いただけるととてもうれしいです!
ディレクター 松田大輔